2010年3月9日火曜日

引き算

 
長谷川等伯を見て、「引き算」「余白」について考えてみた。
 
 
まずは、引き算について考えてみる。
     「引き算」・・・・無駄なことを省き簡素にすること。
 
 
絵で考えた場合、究極まで引き算すると、白い紙が残る。
それでは、絵ではない。
「松林図屏風」は、それ以上引いてしまっては、物足りなくなるし、足してしまっては、また違う絵になってしまう。霧がかった松林の風景と、余白の間・調和が、日本人の感性を気持ちよくしてくれるのだろうか。
 
 
さて、本業である鉢花について考えてみたい。
 
<何かを足すことによって、起こる引き算>
想像してください。
例えば、鉢物のシンビを引き算していく。鉢を外すと、芋虫のようなグロテスクな根っこがあらわになる。鉢を引き算したことで、根という複雑な意匠が現れる(引き算による、足し算)。
逆を考えると、何も無い状態のシンビに鉢という要素をプラスすることによって、グロテスクな根が隠れ、シンプルな仕上がりになる<足し算による、引き算>。
 
 
<何かを引くことによって、起こる足し算>
想像してください。
例えば、鉢物のシンビを見たときに、長い葉によって隠れている花があるとする。その葉を取り除くことによって、見えていなかった花という新しい要素が現れる<引き算による足し算>。
 
 
 
鉢物を鑑賞する場合、鉢物それ自体だけではなく、置いている場所の周りや背景・灯りなどが、大きく影響する。引き算をするとき、それら鉢物を引き立てている構成要素も踏まえたうえで、考える必要がある。
 
先ほどは、花という要素が現れたが、葉を一枚取り除くことによって、見えていなかった背景が現れ、葉によってさえぎられていた灯りが、花に射し込む。逆もある。葉を取り除くことによって、隠れていた見せたくない要素があらわになる。
 
 
商品を仕立て・引き算する場合。大切なことは、その商品が置かれる場所をイメージすること。
それが無ければ、引き算が、かえって悪い結果になることもある。
 
 
 
  
「松林図屏風」も等伯が、屏風に仕立てたわけではなく、後の誰かが今の形にしたそうだ。何かの下絵だったとも言われている。たとえ、下絵だったとしても、等伯の意図したものでなかったとしても、今の日本人の心に響くものがある。
 
 
 
 
 
引き算した商品とは、
    花にしろ、絵にしろ、そういう程よく力抜けたものでのよいのだと思う。
 
 
 
 
 作品との出合いは一期一会。
       この作品に出会わせてくれた、方々に感謝。
    人との出会いも・作品との出会いも結局 WAですね。
 
 
 
 
 

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