2010年7月5日月曜日

「武士道」 新渡戸稲造

新渡戸稲造 の 「武士道」を読んだ。
原著は、英文なので、、、、、勿論訳本。
 
 
「大和魂」を説明するのに、日本人を桜に、西洋人を薔薇に喩えています。
(一部を抜粋します。)
「自然がなすがままいつでもその生命を捨てる覚悟がある。その色は決して派手さを誇らず、その淡い匂いは人を飽きさせない。」「これほど美しく、かつはかなく、風の吹くままに舞い散り、ほんの一瞬、香を放ち、永久に消え去っていくこの花が「大和魂」の典型なのか。日本人の魂はこのようにもろく、滅びやすいものなのだろうか。」
「バラはその甘美さの陰にトゲを隠し、執拗に生命にしがみつく。まるで死を恐れるがごとく、散り果てるよりも、枝についたまま朽ちることを好むかのようにである。」
 
 
確かに、日本人はしがみつく花より、儚い花のほうが好きですものね。朝顔とか、、、、
武士は、常に死と隣り合わせであり、普段から死を意識することによって、いざ死に直面したときに動じない心を持っている。切腹という死に方は、その究極。また、武士道は禅の教えに通じる。このところ興味を持つ日本文化・日本美を調べると、ほとんどが禅の道につながってしまう。「茶道」「華道」「お能」「水墨画」・・・・。日本美は、単なる視覚的な美しさよりも、時間的・空間的な広がりとか、余白とか、究極は”無”の部分にあり、その元になるのが禅ということか?
 
今度は、禅について調べてみる必要が出てきた・・・。
 
 
本書で紹介されている武士道の精神は、他にも現代日本人の性格に通じるところがあり(謙虚さ・思いやりなど)、現代日本人にも精神性として受け継がれているのだと感じる。
 
一方、現代のマスコミは、西洋文化(西洋的価値観)に踊らされ、この日本人としての振る舞いを、滑稽なものとバカにする(自己主張がないなど・・・ 謙虚さと表裏なものだ)。明治期の文化人が、英著で日本の文化の良さを発表してきたのは、西洋人に日本人らしさ、日本文化の素晴らしさを解ってもらうためであったはず。
 
いつから、日本人は精神まで西洋化されてしまったのだろうか?
 
 
しかし、いくらマスコミが日本人はおかしいといっても、日本人はいつまでたっても、西洋から見た滑稽な性格のままである。文化的に根付いた性格や、精神性などそう簡単に変るものではない。平成の世にあっても、武士道の精神性は流れ続けているだろうか(サッカーも サムライジャパンって呼んでたし、、、)。ゆえに、その元が何であったのか、理解しておく必要があるのかな?などと考えている。
まぁ、自分なんぞ、その武士道の悪い面ばかりを受け継ぎ、死を恐れる心など少しも持ち合わせていないのだが、、、、
 
 
 

 
 
 
 
 
 

 
 
 
 

0 件のコメント: