2010年5月31日月曜日

石に宿す。

山梨でよく見かける道祖神さん。
 
ただの丸い石。
その石に、人々は神様を宿し、村の安全を願う。
そこに入っているのは、おそらく人々の想い。
 
”石に神様が宿る”よりは、”石に神様を宿す”という言い方のほうが、しっくりくる。
 
 
 
日本人は、色々なものに神様を宿す。
森の木々。山。海。お米。風。。。。
八百万の神さま。。。<西洋でも、花や木々に妖精がいるから、似た思想があるのかな?>
 
これらの神様は擬人化されたものではなく、人々の色々な想いとして宿した、感謝とか尊敬とか敬意、ときとして恐れ、といった存在ではないか?
 
 
 
日本人は、生まれると、神社に御参りし、教会で結婚式を挙げ、お寺で葬式を行う。信仰心の厚い、外国人から見ると、とても奇異なことであろう。しかし、日本人にとって神様は人の想いが作り出すものであり、自然とあらゆる神様を受け入れる土壌があるのだと思う。 
 
 

 

草だらけ・・
 
 

鉢巻してる。。。
 
 

熊野神社にあるもの。
立派に見える。
 
 
 
 
 
 
私達の扱うお花も、感謝やお祝い、お悔みといった人の想いを宿し、伝えるもの。
一つ一つの想いは、無限なものではなく、直ぐに見えなくなってしまう想いもある。
だからこそ、一つ一つのお花に想いを宿し、伝えることが大切ね。
 
 
 
 

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